リクルート哀戦士・就活戦記<後編>

再戦

確かに何かを掴みかけた僕は、また新たな戦場を探した。

落ちた落ちたと悔やんでいるだけなんで、何もしないのと一緒。

また前哨戦からリスタートし、侵攻し直すだけだ。

その間たくさんの戦場を、それまで以上に同時進行で進むしかない。

一社一社受けて落ちてを確認していては、自分の欲するカードが無くなる。間に合わない。

徹底的に攻めて、攻めて、攻め続けるしか残された道は無かったのだ。

数多の戦場で負けることは何度あったとしても、

就活戦争には絶対に負けるわけにはいかなかったから。



再構築

これからまた死闘に挑む者として、負けた敗因を洗いざらい潰しておく必要があった。

その最大の敗因。「自己分析」の甘さ。

しかし、どこがどう甘かったのか。それは休戦の際、友が言ったもう一言が何気なく教えてくれた。

「いい経験したよ、お前は。転校っていうな」

そうだった。僕は転校したんだっけか。中2の時。それでこいつに出会ったんだ。

そこから延々と今に至るまで紡ぎ出される、僕自身の軌跡。

そう。それが僕自身。それが僕なりの、自己分析の突破口、そして結論だった。

自己分析も、その結論も、はっきり言って人それぞれであるはずだから一概にこうだとは言えない。

今現在の僕でも、自己分析の答えは出し切った自信は無い。

だが間違いなく言えることがある。

「自己分析に終わりは無い」

そんな難しい無理難題を今まで抱えることなく生きてきてしまった僕は、正直困惑した。

だが、自分で悩んで、自分なりに表現する。終わりの無い何かの結論を出す。

たったそれだけを、欠片を理解しただけで、何かを掴んだような気になれたから不思議だ。

土台は、再構築できた。

有り合わせのハリボテではない、僕自身によって裏打ちされた土台が。

後は、かの地へ赴くだけだ。



真・死闘

ここから先は僕の実際に自分自身に言い聞かせ、実行した具体的な事項である。

普通の個人面接はおろか、最終面接もこの心構えで挑んだ。

多分この論文エッセイの最大の焦点にして、最大のウリだと思う。

全く飾らないで表現するならば、強心臓を持てなかった只の一大学生の戯言である。


まず面接会場に行く際は、かならず時間の余裕を持つことである。

出来ることなら1時間前、それが無理でも最低限面接予定時間の30分前には準備万端、臨戦態勢に入らねばならない。

面接までの時間の全てを精神統一に使う。そして気合を入れるのに使う。

それが出来ない、ギリギリの場合や最悪の場合の遅刻はどうなるのか。

一言で言えば印象が悪い。ただそれだけである。

だが、ただそれだけなのにどれだけの影響があるか、それは言うまでもなかろう。

早く到着する予定で自身が動いていれば、万が一の交通機関の事故や、見知らぬ土地で道に迷った際にも、

上手い具合に作用してくれる。その効用はここでは書ききれないほど大きなものだ。


面接会場へのドア。ここを開ければ本当の死闘が始まる。

緊張する。だが、そこに止まっていては前に進めない。

だからドアを開こう。

そして相手を見据え、腹の底から、出来る限りの大きな声で挨拶しよう。

たったこれだけで、どれだけ自分に潜むマイナス要素が消えていくのか。

それは計り知れない恩恵を与えてくれるだろう。


何故あんなにも、面接官と僕との間で距離が離れているんだろう。

物理的な距離だけじゃない。精神的な距離すらも、こんなにも、遠く感じる。

そんな時こそ大きな声で受け答えしよう。

相手がビックリするぐらいの、そして自分がビックリしてしまうぐらいの大きな声で。

きっと思った以上に距離が近くなるから。


さて、心構え的な具体策はこの辺でいいだろう。

いきなりだが、僕の面接における結論を書く。

「面接とは魂と魂のぶつけ合いである。」

面接官は僕のことが知りたい。

僕は面接官に自分を売り込みたい。

相手も腹割って興味を持ってくれているのに、何を恥ずかしがあることがるのだろうか。

どうして自分のカラに閉じ篭る必要があるのだろうか。

その場の自分は多少ヘマやってもいい。

そのヘマすら、自身の一部なのだ。それすら踏まえた上で面接官は僕を知りたがっている。

僕の未来を、可能性の一片を見つけ出そうとしてくれている。

ならば臆することなく、ありのままの自分をさらけ出せばいい。

それが真剣勝負の戦い方であり、礼儀というものだろう。

魂をぶつけてみせろ。

熱意をみせろ、といわれてもどうもピンとこなかった僕の辿り着いた答えである。

ハッキリ言って不器用極まりない戦い方だと思う。

実際に落ちるかもしれない。捨て身の戦い方かもしれない。

だが、例え負けたとしても己の力全てを出し切っていたのなら、後悔するだろうか。

しないと思う。

もしも後悔するようならば、それは最初から戦うべき場所を見誤ったか、自分の力を出し切っていない証拠である。

ここまできたら、後はもう相手がこちらを自分の会社に迎えたいと思うかどうか、

そのフィーリング、直感にかかっているのみなのだ。

もう迷う必要は、無い。

己を信じて、戦え。




終戦

未だに奇跡だと思うが、運良く僕は内定を頂くことが出来た。

嬉しすぎて、無茶苦茶にはしゃぎ回ったことを覚えている。

それから暫くして、妙な感覚を覚えた。

一つ内定を勝ち取ると、もうあとは何社受けても勝てるような気がするのだから、我ながら調子がいいヤツだと思う。

思い上がるにも程がある、と自分で思う。

だが、「受かる人間はいくつでも受かる」。そう自分で納得した経緯がある分、

どうしてそんな気持ちになるのか理解できた。

掴んだ人間は、勝てるのだ。

勝利者になれる人間はあらかじめ決められているのではなく、

自分自身がそうなれるようにもがき悩み、努力することが、その条件なのだと気がついた。

遅ればせながら、僕は就活を経て何かを掴んだんだと思う。



戦後処理

恐ろしいことが起こってしまった。

もういいやと思っていた矢先、もう一つの企業から内定の連絡がきてしまったのである。

正直これには困った。

何しろその会社も全力投球、何が何でも受かってやるという背水の陣で頑張った故の結果なのだから、

誇りに思っていいものだとは思う。だが、素直に喜ぶわけにはいかなかった。

もう入りたい会社は決まっている。

なのに、どうしてこんなに悩むのだろう。

人事の方に申し訳ないと思うからか。それともその会社業務に未練があるのか。

いや、違う。

本当にその会社に入りたいと思ったから、悩むのだ。

嘘偽りで受かれるような人間じゃないからこそ、悩むのだ。

どちらにせよ、人生の選択である。

改めて自分の駆けた刻が、いかに大きなものであったかを分からせてくれた戦後処理であった。




終幕

冷静に考えればすごい経験をしたと思う。

今までの人生では考えれられないほど過酷で、苛烈で、シビアな現実。

たかが数ヶ月なのに、どうしてあれだけ長く感じたのか不思議なくらいに長く、短い刻。

学生なんていう甘っちょろい立場から、社会人という未来に立ち向かうための「サナギ」の期間。

就職活動というのは今までの人生全てをかけて、そして、これからの人生をかけて戦う、戦争なのだ。

そりゃあ運もいるし、他にもいろんな要素がある。

だが、結果は必ず出る。

この戦争には勝者と敗者しか生まれない。

僕は、負けたくなかった。

現実にだけではない。何よりも自分自身に。


今見直すと、日記には凄まじい思念の込められた文章が綴られている。

あまりに負の感情が入り乱れた時期だったんだな、と思う。

だけど、その中に少しだけある決意。

よく言ったな。よく頑張ったな自分。って素直に思う。

この苦境を乗り越えることが出来たんだから、これからも不器用なりに何とかやっていけそうな気がする。

根拠は無い。

だけど、なんとなく自信はある。

だって自分の判断が、あの辛い経験が無駄なものだったとは思えないから。

就活が終わったって、それすらこれからのスタートラインでしかない。

そのスタートラインに、今正に立とうとする僕は、

あの刻を糧に生きていく。

道はどこまでも続く。

そして、どこまでも歩き続けるんだ。

おまけへ

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