其の一 総ちゃん奔走



 女性誌の編集部に紛れこんで、はや三日が過ぎた。


 「総ちゃん! 次の取材行くよ!」


 「ああ〜ん、休ませてよ〜。おねがいだからぁー」


 忙しいったらありゃしない。モデルのつもりでやって来たつもりだったのに、締め切り前でこき使われているのだから。


 瀧本は確かに伊佐治編集長にも認められ、モデルとして「生卵」編集部に潜入した。女性誌にだって男性モデルは必要である。


たまに「イケてる」男を誌面に登場させ、かっこいいと思われる奇抜な格好をする。そしてフキダシかインタビュー欄にどこか悩ましい、いや怪しい言葉を読者のみなさんに投げ掛けるのである。


 瀧本はそんなこと、重々承知のつもりだった。だがしかし、そんなことは締切り前には関係のないこと。専属ゆえ、社員同等の扱いである。


 「来月はあたしが主役よ! 表紙、ピンナップ独占よ! でないとやめてやるわよぉっ!!」


 


 伊佐治書店…それは女性誌一冊しか出していないような小さな出版社。ボロボロの廃ビルの会社。そこには五人ほどが勤めている。


 この会社の一日はどこから始まるのか分からない、というより一日の区切りがないのだ。特に締め切り直前になると皆が皆、編集室に寝泊りするので、朝型夜型徹夜型と入り交じっているのが現状である。


 「ぐおおおおおおお、朝かああ?」


 寝袋持参で寝泊りし続けて一週間が過ぎ、ムックリと起きた男、それはここのNO.2の崎田勲。チョモランマみたいな寝癖を頭にこしらえて朝を…、いや、正午を迎えた。


 「ちょっとお、崎田さん。そこ邪魔」


 この編集部の紅一点(?)大月海江が通路に転がっていた崎田を蹴飛ばす。


 「う〜ん、そこイイ、もっと…」


 バシッ!げしっ!ドごっ!


 海江の猛襲を受けた崎田はそのままお昼寝タイムに移行してしまった。


 「っつたく、このおっさん、ホント邪魔」


 その光景を垣間見、唖然としていたのはトム。一応アルバイト。じっと見ていたら海江にキッ、と睨みつけられた。身の毛もよだつような視線に、トムはその場で気絶してしまった。さすがに石にはなっていない。倒れてしまったその姿は、非常に表現し難い物体と化していた。あぁ、哀愁の一人暮しの大学生…。


 「総ちゃん! 次行くよー!」


 「はいはいはい」


 「ハイは一回でいいの!」


 海江は疲れてのろのろしている瀧本にさえ激しくキックの雨を降らせようとする。瀧本は悲壮の表情で泣く泣く海江について編集部を後にした。


 その後の編集部はただのモルグである。それ以外の何物でもない。


 


 日が沈む頃、こそっと起きたキンパツがいた。しかし、あるべきところに、大事なものがない。


 「どこ、どこなんだよ〜、ボクのメガネ〜」


 机の上を一生懸命探すが見つからない。


 この、目を細めて自分の眼鏡を探しているのがここの編集長、伊佐治成堂である。こんなんでも会社の社長。多分。


 「も〜どこなんだよ〜。困っちゃうじゃないか〜」


 そんなこと言っても、事態は一向に変わりはしない。ただ自身を焦らせるだけだ。


 「たっだいまあー! あ、編集長。どうしたんですか?」


 海江が瀧本を連れて帰社した。後ろの瀧本はもうすでに骸へと変貌していた。


 「メガネが、僕のメガネがないんだよ〜困っちゃったんだよ〜」


 「編集長、胸ポケット見てください」


 そう言われ、見てみると…あった。灯台下暗し、まんまである。


 「編集長も歳ですねー。ボケないで下さいねー」


 ヒドイ…ひどい女である。


 


 これの登場人物でまだ現われていない者が一人いる。菱田、という無口な男である。これといって特徴がないのが特徴。というか、形容がみつからない。


 菱田はこの編集部では寝泊りはしない。というか、誰も寝ているところを見たことがない。かといってあまり帰ってないのに、である。謎だらけの男なのだ。


 やっとこさ編集部が全員揃った訳だが、今は締め切り直前である。そんなにゆっくり解説している暇などない。


 「みんなー、原稿できたかな〜? あと六時間だよ〜。落としちゃだめだよ〜」


 現在、時間にして午前三時。あと六時間、というのはもちろん締め切りのタイムリミットのことである。原稿が上がっているのは、今のところ伊佐治と菱田以外誰もいない。


 「ああああああぁああああああぁ、もういやだああ!!」


 急にトムが吠える。単調な、かつ切羽詰った作業の連続でイッてしまったのである。


 しかし、他のメンバーは気にも止めずに作業を続ける。編集部のアップ直前、というのはこういうものらしい。もっと早くに終らせておけば良いのに、と思われる方がいらっしゃるかもしれないが、そんなことを実行できるのなら、締め切りなんてモノはこの世に存在する必要がないのである。思い出して御覧なさい…テスト前を。ほら、否定できないでしょう。


 閑話休題。話を編集室に戻す。


 「もう帰るうううう! おがあちゃあああぁああんん!」


 それを言うなり、トムが駆け出した。出口に向かって。その目にはもう現実など写っていない。そこに写るものは――何?


 「逃がさんぞ! トム!」


 トウッ!と叫んだかのように高く舞い上がり、ランナウェイモードのトムの前に立ちはだかった者は!


 「ウオッ、崎田さん! どいてくださいぃぃ! おがあちゃんとこへいくだぁ!!」


 「やらせはせん! やらせはせんぞ!」


 崎田の電光キックがトムの顔面に直撃!


 「イーッ!!!」


 意味不明の言葉を叫びつつトムはまだ逃げ出そうとしていた。そこへもう一つの影が、颯爽と現れたのだ!


 「小僧! 間合いが甘いわ!」


 その影は、ショルダータックルを炸裂させた。しかし、当たったのは崎田に、であった。


 「伊佐治書店…バンザーイ!」


 「おがあああちゃああああぁああん!!!!!!」

 

 



 静寂の午前四時。二つの人型が床に転がっている頃、ついに海江が原稿を完成させていた。


 「できたー。もう寝る」


 そう言い残し、海江は机寝してしまった。


 「仕方がないわねえ、もう」


 瀧本は海江の肩にそっと毛布をかけた。


 だんだん夜が明けてくる。微妙に青みがかった空がそれを伝えていた。しかし、朝が来るというのは、締め切りが近い、ということでもある。瀧本はハッとそれを思いだし、自分の原稿を打ち始めた。


 カタカタカタ…


 何故だか、瀧本は一ページだけまかされていた。コラムを書け、と伊佐治から至上命令が下ったのである。


 (しかし、なんで入って間もないアタシがまかされるのかしら? 一応モデルなのにライターなんて、おかしいわねぇ)


 しかし、もう考えている時間などない。ただ、がむしゃらに今の女子高生のファッションについて熱く、それでいて濃厚に書き綴る。


 ―今の女子高生は、みんな似たようなファッションを好んでいる。いい加減ヤマンバが絶滅寸前なのは良いとして―


 そこまで書いてふと思った。何真面目に書いてるんだろう?自分の仕事ってこれだったかしら?他に何かあったような…


 もう太陽が顔を出しかけている。

其の二

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