午前九時。タイムオーバーである。結局、原稿があがったのは…なんと全員である。どういう経緯でそうなったかは各人想像していただきたい。
「じゃあね〜。いってくるよ〜」
そう言うと、伊佐治は愛車に乗って印刷会社へと向かった。
皆は赤いポルシェを見送ると、編集室に戻る。だが、戻るや否や倒れこんでしまった。
ばたんきゅー
みんなあっという間に眠りに入ってしまった。ただ、菱田一人を残して。
その頃伊佐治はハンドルを握っていた。
一向に車が進まない。赤いポルシェは渋滞の渦中だからだ。
「あ〜あ、進まないんだよ〜。ヒマなんだよ〜」
なんとか昼までに着かなくては。伊佐治は多少焦っていた。なぜなら、毎号毎号印刷会社に無理言って、発売日にギリギリ間に合うか合わないか、のレベルで印刷してもらっているからである。
(もう十二時までですよ。それ以上は諦めてくださいね)
そう電話で言っていた、印刷会社の社員の声が頭に響く。
「それでも、いいのかもな…」
瀧本は朦朧と、夢の中をさまよっていた。
何故だか空に浮かんでいる。
「空もイイわねえ。なんだか落ち着くわぁ」
プカプカと浮かんで、のんびりとしているとなにやら大きな影が接近してきた。しかし、音は聞こえない。
大きな影…それは鋼鉄の翼、ジャンボジェットであった。何でこんなところに?と考えてまもなく、答えは口から出た。
「ここはジェット気流の中? ぎょええええっ!」
恐ろしいスピードでどんどんジェット機は大きくなって、瀧本に容赦なく近づいてくる。しかし、接近してきてある事に気が付く。
「何であそこにでっかい顔があるのよ?」
そう、何故だか機首の部分に人の顔がくっきりと、はっきりとくっついていたのだ!
「―な? しかも編集長?」
巨大な伊佐治の顔を先端につけた鉄の塊が瀧本を襲う!
「ひえええええ、え、笑顔ぉ!? なんで笑ってんのよぉっ! おやじの顔は見たくないのよぉぉぉっ!」
どっかーん
大量の汗を額に浮かべ、瀧本が目を覚ますとそこには海江がいた。
「大丈夫? かなりうなされてたよ」
瀧本は呼吸も荒く、ただハーハーいっているのみ。海江は悪い夢でもみたんだろうな、と思い訊かない事にした。
「今、何時なの?」
「そうね、夜の九時ぐらい、だね」
あの地獄の締め切りの後、ほとんどが泥のように眠った。そしてその後、編集室で最後に起きたのが瀧本だった。
「九時…か。十二時間も眠ったのねぇ。我ながらよく寝たわ」
それを聞いて海江が吹き出した。
「なによ? なにがおかしいのよ?」
「十二時間? 甘い甘い。三十六時間」
「ぎょえええええええっ!」
驚くのも無理はない。徹夜慣れしていても、編集という慣れない作業で疲労が蓄積したのだろう。
結局、それほどの時間ずっと編集室で眠りこけていた瀧本であったが、ふと、他の者のことが気になった。
「他の人は? 他のみんなはどうなったのよ」
「みんな? 帰ったよ。自分の家に」
やはり、他のメンバーはこのような徹夜続きにもなれているらしい。ほどほどで切り上げた、ということか。
「じゃあ、あんたは? あんた今まで何してたの?」
「別に。なんにもしてないよ」
そう、海江は瀧本が目覚めるまでずっと待っていた。日付が変わっても。しかし、慌てて海江が付け加える。
「ホントに何にもしてなかったんじゃないよ。記事書いてたんだもん。それに、探偵さんにはボディガードしてもらわないと」
ボディガード、という契約が在ったかどうかは別として…
瀧本は今になってやっと、自分が探偵であったことを思い出した。
その事実に呆然とする瀧本。
「ねえ、どうしたの総ちゃん? なんかあった?」
現実と言うものは時として、いや常に非情であるものなのだ。
「ただいま〜、なんだよ〜」
話は少し前にさかのぼって、一日前の編集室。夕方になってやっと伊佐治が帰ってきた。
「編集長、どこで油売ってたんですか?」
眠りから覚めたばかりの崎田の口からそんな苦情がこぼれた。
勤務時間中に寝ていたお前に言われたくない、と内心思いながら伊佐治は、他の連中が形だけでも仕事中なのを横目に、さっさと自分の椅子に座った。
「ちょっと崎田君〜こっち〜だよ〜」
そう崎田を呼び出すとなにやら紙を胸ポケットから取り出した。
「なんなんですか? 編集長」
「実はね〜これがね〜」とそこから先は急に伊佐治の声が小声になる。
話の一部始終を聞かされた崎田は驚愕の色を隠せなかった。その表情から、ことの重大さは十分に窺い知ることができる。
「そうですか…了解しました…」
――編集部に風が吹く。