ストーカー。それはある特定の人物を付け狙い、その人物に対してなんらかの危害を及ぼす者。原因は様々であるが、そのほとんどが恋愛感情を根とする。
問題のストーカーから依頼人を守る。もしくはそのストーカーを捕まえる。それが今回の仕事、のはずだった。
久しぶり帰ってきた自宅兼探偵事務所は、埃だらけだった。つまり、それだけの間留守にしていたことになる。
「あたし、今まで何してたのかしら?」
そう嘆きながら、「かま探」瀧本総一郎は白い三角頭巾とフリルのエプロンを身にまとった。
今日は締め切りの後、最初の日曜。ここに、思いっきり羽根を伸ばそうとしている一人のレディ(?)がいた。
「さあて、何すっかなー」
自分がストーカーに狙われていることも忘れて、大月海江は街に繰り出す。目的はウインドウショッピング。海江にとってそれがなによりの楽しみなのだ。
ブラブラと歩いていると、いつもなら気にも止めないような店の前に立ち止まった。
そこには目にも眩しい、新緑のワンピースが飾られていた。
綺麗な緑色、いや色ではない。デザイン?それも違う。ただそれだけではない何かが、それからは発せられているように感じられた。
海江は何故だか無性にそれが欲しくなってしまった。よくある衝動買いの前兆である。しかし、値札を見ると…。
「99,800円???? 高すぎぃー。やめやめ」
そうは言ってみたものの、口惜しい。妙に未練が残る。
海江はそのワンピースをじっと見た。それこそ穴が開きそうなほどに。
そんな夢中になっている海江を、ショウウインドウは鏡のように映し出す。そこに映っているのはもう大人の女性ではない。いたいけな少女の姿そのものである。
―しかし、少女の視界には、ずっと後ろから同じようにガラスケースを見つめている黒い影…いや、海江を見つめている人影など全く入る余地などなかった。同じように鏡に映っているのにも関わらず―
その頃、編集部では伊佐治が一人である仕事をしていた。皆には見せられないようなもののため、こうして休日に行うしかない。
「ああ、もうそろそろ、返本が帰ってくる〜んだよ〜」
溜息混じりに伊佐治が呟く。
そう、この編集部は出版社も兼ねている。だから、各本屋から返ってくる売れ残った本(返本)もここへ集まるのだ。まぁ、全てがファッション雑誌「生卵」なのだが。
伊佐治にとっては最近の生卵の売上には頭を悩ませていた。全く売れていないわけではない。しかし、発売後あっ、という間に完売みたいなことはゼッタイにない。
元来、この女性向ファッション雑誌業界は常に戦国時代である。
各社が、それぞれの世代に向け続々と出版するため、普通にやっていたのでは伊佐治書店のような小さな会社は飲み込まれてしまう。それくらい厳しい業界なのだ。そして、さらにヒドイことに生卵は一応、ハイティーン向けのものである。…そう、ハイティーン向けの雑誌群は最も活発なのである。そのぐらいの歳の女の子、というものは常に新しいものを求める傾向が強いからだ。
つまり、そのターゲットの好みに合わない―時代に合わない場合、即消滅を余儀なくされる。だから、伊佐治は今まで生卵に斬新な内容を多数盛り込み、厳しい業界の中で生き抜いてきたのだ。
しかし!しかしである。昨今におけるあまりのファッションの文化的な停滞は、伊佐治にとっての苦痛でしかなかった…。
昼過ぎ、瀧本は昼食を済ませ、事務所でストーカー対処法について思案にくれていた。しかし皆目見当がつかない、という状態ではない。
――そう、もう既に海江を盗撮した写真がどのようにして撮られていたかは目星がついている。しかし、問題が一つ。
「近い人間にしか、実行不可能なのよね…」
ということは、毎日のように、あるいは定期的に海江との接触を持つ人物の可能性が高い、ということである。
このことは、瀧本の頭を大いに悩ませた。
依頼人に真実を伝えなければならない時は、いつも気が滅入る。特に近い人間が犯行に及んでいたという事実は依頼人にとって精神的ショックが大きいことは必至だからだ。
「う〜ん、難しいわねえ…」
そう呟く。こうなると、瀧本にとってする事は一つ。気晴らしに行くしかない。そう、いつものところへ。
「れっつ! ごー!」
伊佐治はただファッションが好きなだけでこの業界に入ったのではない。それをまとう女性の姿を見たかった、それによって文化の流れをつかみたかった。世界の流れを掴みたかった。そういう大志を抱き、この業界に飛び込み、努力し、小さくても会社まで作り上げたのだ。
だが、時代の流れは彼に微笑みはしなかった。彼の考え方は現代のハイティーンには受け入れられない、という皮肉な結果を生んだ。
しかし、そこで伊佐治は断腸の思いである決断を下した。そう、雑誌としての方向転換である。この改革の成功によって、生卵は走り続ける事ができたのだ。
この改革の内容は、今までの個性的な路線から脱却し、現在のトレンドに方向を合わせることだった。これは伊佐治にとってどのくらいの苦痛であったかは計り知れない。
ブロロロロロロロロロロ……ガッ、しゅううう
トラックが伊佐治書店に到着した。
「おはようございまーす。返本、お届けにあがりやしたー」
トラックの運転手が、たくさんのダンボールを会社の倉庫へと運ぶ。倉庫とは名ばかりで、ただの一室を倉庫として扱っているだけだ。利便性もあり、今のところ編集室の隣にある。
「ねぇ、まだあるの〜」
「ええ。ありますよ、山ほど」
いつの間にか、12畳ほどの小さい倉庫は、それまで何も無かったのにもかかわらず、今運ばれてきたばかりの返本だけで埋まってしまっていた。
「もう終り〜、だよね〜」
「まだありますよ、残り、どこに起きましょうか?」
伊佐治は自分の顔から血の気が引くのを感じた…。