其の四 総ちゃん滑空


 月曜日、というのはどうも憂鬱である。理由など必要ない。


 メンバー全員が編集部に出社はして見たものの、誰もが開いた口が塞がらなかった。伊佐治以外。


 「へぇんしゅーちょぉー! なんですかこれは!」


 「見ての通り〜だよ〜…はぁ」


 編集室の一角にはおびただしい数のダンボールが山積みになっていた。それこそ、崩れ落ちそうなほどの高さで。


 「何なのよ…。ハッ…何が入ってるんですかね?」


 ここの人々の前では「かま探」であることを隠している。もちろん「かま」の方も。


 中身は「生卵」であった。ついこの前まで格闘していたものではない。ちょっと前まで書店に並んでいた号。セーターの特集を組んでいた号。つまり先月号である。


 「あの、なんでここにこれが? 売り物じゃないんですか?」


 瀧本があらたまって尋ねる。


 「これはね、ウチは出版社でもあるから、売れ残りの本はここへ戻ってくる、ってこと。それにしてもこの数は…編集長、どういうことなんですか? 答えてくださいよ」


 海江がまくし立てるように言った。それに対して、伊佐治が溜息をつきながら返答した。


 「見たまんま〜、だよ〜」


 売れない。ただそれだけである。

 



 その日は、まともな仕事が出来なかった。整理と始末に追われたからである。
 それにしてもとんでもない数だ。瀧本は眼前に広がるダンボールに素直にそう思った。そして、その中身のモノにも。


 「…憐れだわ…」



 ――こんなことがあって良いものか…いや、あってはならないことなのだ。だれだ!こんなにしやがったのは。


 誰のせいだ!


 あいつが悪い。あいつのせいだ。あいつが、あいつが…


 あの時もそうだった。あいつは、いつもこうだ。無責任で、横暴で、それでいて意気地なしでな。そして今日はコレだ。ふざけるな!


 あいつさえ、あいつさえいなけりゃ…


 ―小さな音を立てて何かが弾けた―――

 



 帰り道、瀧本は海江を夕食に誘った。そこで、場が和んでからストーカーの可能性について話した方がよかろう、と踏んでのことだ。


 「あんた、何が食べたい?」


 「どこでもいいよ。おごってくれるんなら」


 「…ふーん」


 あんた、ガメツい子ねえ。瀧本は内心そう思った。しかし、口にはできない。口にしたら最後、何が待っているかわからない。


 「じゃあ、ここでいいよ。ね? 総ちゃん」


 海江が立ち止まって指を刺した場所。それは某有名ハンバーガー屋であった…。


 「あんた、安い子ねえ。まあいいわ、行きましょ」


 店内で二人はゆっくり食事しながら、他愛もないおしゃべりする。その様子はまるで二人の女子高校生がいるかのようであった。端から見れば、さぞ不思議な光景だっただろう。そのくらい花が咲いていたのだ。


 瀧本自身、あのことを言わなければならない、ということは決心していたはずだった。しかし、そんな深刻な話題を口にすることもできずに、時間は過ぎていく。


 結局瀧本は肝心なことは何一つ言えはしなかった。


 そして、店を後にし、それぞれの家路に着くこととなる。その後、何が待っているとも知らずに…。

 



 午後九時。編集室ではいつものように伊佐治が残業していた。そして、いつものように黙々とキーを叩く。


 今回の失態は「生卵」にとって、いや伊佐治にとって、また大きな決断を迫られる事件になっていた。過去に比べ不調でありながらも、現在の「生卵」は、なんとか市場である一定のシェアを獲得してきたはずであった。


 (なんなんだこれは? この紙屑の山は?)


 大きな決断……道は一つしかない。


 トントントン


 こんな時間に誰だろう?そう思いながら伊佐治はドアを開ける。


 「だ〜れ〜? …お前か。帰ったんじゃなかったのか?」


 客人を部屋へと入れる。その人物は黙ったまま、椅子に腰掛けた。


 窓際へ移動し、星空を見上げながら伊佐治が口を開く。


 「そうだったよな…。お前をウチに採用した時もこうだったよな。二人だけで熱心に流行について論議してさ…覚えてるか?」


 「………」

 


 
 ここはあるマンションの部屋の前。自分の家にも入らず、一人の女性がドアの横の壁にもたれかけていた。腕組をして思案に暮れいている。


 (だれか、誰かがいる…)


 それは直感だった。


 先程、一度鍵を開けて部屋に入った。何かおかしい。何がおかしいんだろう?理由がわからないままドアを閉め、外に出た。


 (空巣かな…? ううん、そんな高めのモノはないはず)


 他にも色々と試行を巡らす。


 (下着ドロ? …安物ばっかりだったはずだけど。でも、ヘンな使い方とかされたくないなー)


 微妙に脱線して、直に閃いた。


 (ストーカーだよ! ストーカー。ああ、どうしよう。そうだ! 総ちゃんに来てもらおう)


 さっさと、携帯をかける。


 トゥルルルル…トゥルルルル…トゥルルルル…トゥルル、ガチャ


 『はい、瀧本探偵事務所です』


 「あ、総ちゃん? あのね」


 『現在、調査に出ていて電話に出ることが出来ません。御用の方はメッセージを…』


 そこでもう切った。

――ああ、一人で何とかしなくちゃ。

 



 瀧本は事務所にも戻らず、夜の繁華街でブラブラしていた。


 (言うべきだったのかしら? 言わなくて良かったのかしら?)


 まだまだ瀧本は悩んでいた。


 なんでこんなに他人のことで悩んでるのかしら?心の片隅でそうも思う。しかし、自身に問い掛けても何も返ってはこない。


 そんな時、頭にヤのつく職業風の三人組が、一人の若い女性にからまっている光景に出くわした。


 「よーよーネーチャン。どうしてくれるんだよ? こいつ折れちまってるぜ」


 「ううっ、いてえよ兄貴」


 「そ、そんな…私が悪いんじゃありません。あなた方が勝手に…」


 非常にわかり易い光景ではある。


 「えぇ? なんだと? このアマなめやがって!」


 こんなのを見せられて黙っている瀧本ではない。


 「止めな! アンタ達。お嬢さん困ってるじゃないの」


 「なんだテメーは?」


 答える間も無く瀧本は男達に飛び掛っていった。

 



 「あの時は、こんな風になるなんて思いもしなかったよな。まだ俺も若かった…。お前みたいになぁ。若さのあるお前が羨ましいよ」


 自分に問い掛けるようにして伊佐治は続ける。


 「俺たちが今までやってきたことって、なんだったんだろうな、って最近思うんだ。自分で選んでこの道に入ってさ。苦しい時もあったけど、好きだったからこそ、乗り越えることが出来たんだ。お前と一緒にな…」


 「その結果がコレですか…」


 沈黙を破ったその人物は、ダンボールの山に目をやった。


 「…認めるしかない。現実なんだ」


 星座を眺めるその視線が微かに潤んでいた。


 「これから、我々はどうするんですか?」


 「…」


 今度は伊佐治の方が黙ってしまった。夜空を見上げたままで。


 「打つ手なし、という事ですか」


 伊佐治に返す言葉はなかった。もう、結論は出ているからだ。


 「そうですか…。では、仕方がありませんね」


 「仕方がない、ってお前……」


 ――これが伊佐治成堂の最期の言葉となった。

 



 総ちゃんが来ない…つながるまで待つか?いや、それまでにこのドアが開いたら?中から出てきたら?


 …考えてても仕方がない。突撃慣行だ!


 ドアを開けて海江が玄関へと足を踏み入れる。見慣れた部屋のはずなのに、どこか空気が違う。間違いない。誰かいる。


 (映画とかだと、カーテンとか、死角に潜んでて、近づくと襲ってくるっていうのがあるけど…)


 息を殺してゆっくり、ゆっくりと歩を進める。暗闇に目が未だ慣れていない。文字通り一寸先は闇である。用心深く進む。


 そして、居間の直前で照明のスイッチに手をかけようとした。


 ……


 何かがわずかな音が聞こえた。


 「誰!? そこにいるのは! 出てこい!」


 叫んだ瞬間、海江は身動きが取れなくなった。何物かが海江の口を塞ぎ、体の自由を奪っているのだ。


 ―どうしよう どうしよう総ちゃん―



 瀧本が飛び掛っていって三分後、あっけなく勝負はついた。


 「あの…助けていただいてありがとうございます…」


 その女性の声はとても小さかった。


 「気にしなくていいわよ。あたしが勝手にやったことなんだから」


 瀧本は襟元を直しながら、満足そうに足元の男達に目をやった。


 三人の男達は無様な格好で倒れていた。目を見開き、口からよだれを垂らし、気を失っている。


 それを通行人が避けながら歩いていく。その視線はひどく冷たい。


 「…何かお礼をさせてください…命の恩人の方ですもの」


 「いいわそんなの。そうそう、あなたのおかげで、行かなくちゃいけないところを思い出したわ。ありがとうね」


 瀧本は向きを変え、駆け出そうとした。


 「おっと、こっちこそお礼しなくちゃ。これもらって!」


 女性に名刺を手渡し、一目散に駆け出していった。疾風のように。


 残された女性は、ただただ唖然とするばかり。


 「…瀧本探偵事務所…??」

其の五

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