探偵という職業は地味なものである。
どのくらい地味かというと派手な格好をした歩く脂肪のオバさんが十年はいてビロビロになってしまった結果バザーに出されたモモヒキぐらい地味である。
だから、TVやマンガで美化されたものと、現実とは全く違うのである。
しかし、そんな事とはお構いなく現実と空想の間を地で行くような男がいた。これはそんな探偵の話である。
ある主婦から夫の浮気を確認して欲しいと依頼され、調査を始めて一週間。やっと、ヤツの尻尾をつかんだ。女を連れてタクシーに乗ったヤツを追いかけて着いた先は高級マンション。夜中に中に入って行ったのだが、もう日が昇ろうとしている。張り込んでいる間は気を抜くことが出来ない。眠い目をこすりながら待っていると、ついに二人が出てきた。それをシャッターに収めて証拠を得る。しかし、この探偵の場合これだけで終わりはしない。急に二人の前に飛び出し、
「タカオちゃ〜ん、私を捨てるなんてヒドイわ! ヒドイわ! あれほど愛し合った中なのにぃっ!」
そう叫ぶと血相を変えて隣の女は逃げ出した。そして、それを追いかけようとする男を押し倒す。
「ぎゃああああぁぁぁぁぁぁぁーーーー」
合掌。
「この辺りにあるはずなんだけど…瀧本、たきもと、タキモト…」
道に迷ったらしい若い女が何やらブツブツ言っている。彼女の名は大月海江。年齢二四歳。職業編集者。なにやら道に迷ったご様子。
「あ、あのおじいさんに聞いてみようっと」
人のよさそうな腰の曲がった御老体に話しかける。
「すみません。瀧本探偵事務所ってご存知ですか?」
そう尋ねると、御老体は顔を真っ青にして凄まじい速さで逃げていった。「教えてくれてもいいじゃない! このくそジジイ!」
そんなこんなで三十分後、海江はやっと目的地を発見した。そこはなんの変哲もないビルの二階にある探偵事務所。ビルの横から階段を上り、ドアをたたく。するとゆっくり扉が開いて中から長身のスーツ姿の男が現れた。男は「どうぞ」と小声で言い、彼女を部屋の中へと招き入れた。案内されソファーに腰を下ろす。
「で、どんなご用で?」
男が押し殺したような声で喋った。彼女は「えーと…」と、どもりながら男を観察した。その目はある意味で獣の目である。
(顔は悪くない。背も高い。それで探偵って結構儲かるのよね。 探偵婦人も悪くないかも…。でも、収入不安定なのが…)
「で、どんな依頼なんですか?」男の一言で我に返る。
「あ、あの私、ストーカーに困っているんです。それであの…」
と、彼女が言っている間に男はメモを取り出した。
「もう一ヶ月ぐらい前からつきまとわれていて…。いつも見られているような気がするんです。最初は妙な手紙が毎日家に送られてきたりしてただけだったんですが、最近は電話だけじゃなく盗撮写真まで送られてきて…。とにかく何とかして欲しくて…」
そう言い終わった後、事務所の電話が鳴り出した。男がゆっくりと受話器を取る。
「もしもし、瀧本探偵事務所です」
『あ、瀧本さん? この前はどうも有難うございました。夫の浮気の確認だけを依頼したのに、この前帰って来た時、涙流しながら私に抱きついてきて……。なんとお礼を言ったらいいんでしょうか』
「いいえ。私は依頼料さえ頂ければそれで良いんです。では」
そう言って男は受話器をおろし、元の位置に戻る。
「ストーカーの事でしたね。できるだけ…くわ…しく…」
急に男の様子が変わった。しゃがみこんで身震いし始めたのだ。
「どうしたんですか? どこか具合が悪いんですか?」
海江が心配そうに恐る恐る訊いた。すると男は急に立ちあがり、
「ああぁぁぁん! もう我慢できないわっ! こんな口調!」
「???」彼女は驚いてひっくり返ってしまった。
「あ〜ら、ごめんなさい。アタシねぇ、本当はこんな喋り方なのよ。自己紹介が遅れたわね。アタシ、瀧本総一郎。人はアタシのことを『おかま探偵』って呼ぶのよ」
翌朝、海江は通勤電車に乗りながら考えていた。
(一体なんだったんだろう? あの探偵。ま、危険性だけはなさそうね。ウデも確かそうだし。それにしても理解に苦しむ探偵だ)
気がつくと、もうそこは彼女の勤め先「伊佐治書店」。この会社は小さな出版社であるはずだが、どこから見ても廃ビルにしか見えない。労働者人口現在五人のみ。それでも立派な株式会社の一つである。ちなみに、出版している本は悲しいかな、女性向けファッション雑誌一冊だけである…。その名も「生卵」。別に料理の本ではない。
中身もボロい社内に入るとまだ誰も着いてはいなかった。いや、陰の薄い男が一人、部屋の隅にいた。
「おはよう、菱田君。いつも早いね」
菱田と呼ばれた男は、こくんと頷くと黙々と自分の仕事を始めた。
海江は菱田に対してあまり良いイメージを持ってはいない。まだ若いのにおっさん顔。そして無口。下の名前も聞いたことがない。編集の仕事は速いので支障はないのだが、今にもリストラされそうな中年サラリーマンにしか見えない。
しばらくして威勢の良い今風の若者が入ってきた。
「オハヨーゴザイマース!」
「おはよー、トム」
この男はツトムという名があるのだが、この会社では何故か「ツ」を取って呼ばれている。彼は大学生であるがそのファッションセンスを編集長に買われてスカウトされ、ここでアルバイトしているのだ。そうこうしているうちにその編集長がやって来た。
「おはよ〜、なんだよ〜」
なんだか妙な口調だが編集長の伊佐治成堂である。もうすでに六十近い年なのだが、気が若いのか非常に元気だ。格好も若々しく、フチなしメガネをかけ、ピアスをつけ、金髪にしている。それでも、今年おじいちゃんになる予定らしい。この会社の社長でもあるのだが、その編集方針も経営方針もかなりブッ飛んでいて、業界では一目置かれているほどの存在なのだ。まあ、だから雑誌一冊しか出せないのだけれど。
「ども、ども。みなさん朝からお元気で」
最後にやって来たのが崎田勲。まさに働き盛りといった感じの男で、髪の毛はガッチリ七三分けである。仕事に対する意欲も並外れていて、事実上ここのNO.2である。
これで全員が出勤した。いつもだったら各自席に着いて仕事開始なのだが、編集長伊佐治が「待った」をかける。
「え〜、みんな〜、今日は重大発表があるんだよ〜」
皆が声をそろえて仰天した。こんなことは今まであった事がない。
大体いつもは「今日も一日がんばろ〜、だよ〜」とか言う程度なのに発表とは。何が来るのか、とみんながファイティングポーズをとる。
「みんな〜実はね〜。…ん〜と…忘れちゃった〜んだよ〜」
皆が椅子から転げ落ちたのは言うまでもない。
午後七時、海江が帰宅する時間である。彼女のマンションの前に暗闇に紛れてたたずむ人影がいた。調査にやって来た瀧本である。決してストーカーをしているわけではない。ただ、この時間には帰る、と訊いていたので待っていただけなのだ。
それにしてもなかなか帰ってこない。話が違う、なんて思いながらただ待つこと三十分。
「あら瀧本さん、いらしてたんですか? 事前に言ってくれれば良かったのに」
「あら、じゃないわよ。こっちはあんたのために調査に来たんだから。さっさと行きましょ。それからね、そんな他人凝議しなくていいわよ。総ちゃん、って呼んでね」
とにかく二人は彼女の部屋に向かった。彼女の部屋は五階である。
「エレベーターないの? このマンション。あんたも貧乏なとこに住んでるわねえ」
海江はあんたに言われたかぁない、と思いながら階段を駆け上がっていった。
二人が海江の部屋に着く頃には、瀧本はすでに肩で息をしていた。
とりあえず中に入る。
「あんた、この部屋殺風景ねぇ。ホント女の子の部屋なの?」
「そうなんです! お気になさらずに!」
そんなこんなで六畳一間の部屋に二人は小さなテーブルを挟んで落ち着いた。
「これが、問題の手紙と写真なんですけど…」
どれどれ、と瀧本が調べる。すでに二十通はある手紙の方は白い封筒に白い紙にワープロで打った文字が書いてある。内容は、あなたをいつも見ていますというようなラブレター的な事が書いてあった。しかし、最近送られてきたものについては意味は同じでもより利己的で思い込みの塊の文章が綴られていたのだ。これは単純にストーカー行為のエスカレートを意味しているのであろう。
「あんた、コレ放っておくとヤバイわよ」
次に写真を調べる。こちらは五枚程度しかないのだが、普通の写真にしか見えない。もちろん写っているのは海江なのだが、体の一部分しか写っていないのもある。多分、部屋の中から撮ったものなのであろう。ついでに、そんなに人に見られて恥ずかしい写真はない。しかしながら、この写真がどこから撮られたか調べようにも五枚全てアングルがバラバラで推定しようもない。とりあえず、1枚を手に取り考えてみる事にした。
「このアングルだとどの辺りになるのかしら? あんたの部屋、物が少ないからねえ。分かりやすいと思うけど…」
探偵という稼業をやっていると盗撮カメラがどこに隠されることが多いか分かってきたつもりではあるが、こういう女性らしくない部屋だと勝手が違う。タンスにテレビ、熊の木彫り、押し入れ、その他もろもろ手当たり次第調べたのだがカメラらしきものは一向に見つからない。
「出てこないわねえ、カメラ…」
と、瀧本が言ったとき彼のお腹が音を立てた。
「瀧本さ…総ちゃん、ご飯まだなんですね。一緒に食べましょ。ちょっと待っててくだ…頂戴ね」
「あら、悪いわねぇ、催促しちゃったみたいで」
テーブルに、料理が並ぶまで三分足らず。
「もうできたの? 早いわねえ。アンタ料理の天才? …って、これインスタントラーメンじゃないの! 女の子がこんなもので食事を済ませるんじゃないの! もう、あたしが作るわ!」
海江が慌てふためいてももう遅かった。彼女の制止も聞かずドスドスとキッチンに進入した瀧本は勝手に冷蔵庫を開け、「お野菜半分腐ってるじゃない」なんてブツブツ文句を言いながら、料理を始めてしまった。
しばらくして、とても賞味期限ギリギリの物だけで作ったと思えない豪華な料理がテーブルに並んだ。海江はとにかく呆気にとられてポカーンとしていたが、
「こ、これ総ちゃんが?」
「冷めないうちに食べちゃいなさい!」
と、催促されて恐る恐る料理に手をつける海江であったが、次の瞬間にはただ黙々と貪るように食べ続けていたのだった。
深夜の編集室。暗闇の中に一つの人影があった。伊佐治である。ワープロに向き合ってはいるのだが一向に仕事が進んではいないようだ。
その姿は昼間の伊佐治のものではない。どちらかといえば哀愁というか、悲哀というか、そういう類のものが全て書かれているような背中を背負っていた。
彼はある重大な決断を迫られている。「生卵」のことである。過去に何度かこういう危機はあった。しかし、なんとか伊佐治の力で切り抜けて来たのだ。
トントントン。
編集室をノックする音がする。こんな深夜に誰だろう、とドアをゆっくり開ける。
「だ〜れ〜、なのかな〜。…なんだ、お前か…まぁ入れよ」
翌日、日曜日の朝のこと、海江は重いお腹を抱えての勤務となった。締切間近の編集者に休みの日などない。ついでに今日は外回りの日。つまり、ファッション雑誌である「生卵」のストリートモデルを探しに行く日なのである。
いざ出発! と言いたいところだが、本来いるはずの相棒がいない。こういう仕事の場合二人の方が何かと都合がいいものなのだが、いないものはいない。編集室を見まわしてみると伊佐治しかいなかった。黙々とワープロを打っている。昨日と同じ服を着ているところから見ると徹夜でやっていたようだ。ご苦労さん。
しばらくして、トイレからトムが飛び出してきた。
「あっ、海江さん。オハヨーゴザイマース」
「トム、外回り行くよー。でもその前にチャック閉めろよー」
海江はハンドバッグを手に取り、さっさと出ていった。そして、彼女に情けない顔で遅れまいとついていくトム。
街に出た海江とトムを待っていたのはヤマンバの大群!…失礼、今時の女子高生達である。まず、トムにナンパ口調でモデルになってくれと頼ませる。それで相手がOKなら数枚スチールカメラで撮るだけである。今のところ、十人分ほどフィルムに収めた。
「あー、つまんない。みんな同じじゃん。ねえ、トム?」
海江が話し掛けているそばからトムは本腰入れてナンパに励んでいる。海江は頭を抱えながら他の女子高生に話しかけるのだった。
その頃瀧本は事務所で例の写真と手紙を観察していた。そして、じっくり考える。
(手紙の指紋調べたってハズレでしょうねぇ。こういうストーカーは前科がある可能性は低いはずなのよ。と、いうことは例え指紋を発見できてもダメ。犯人を見つけるのは大変そうねぇ。カメラも見つからなかったし。でも、ホントにどこにあるのかしら)
何てことを考えていたら、頭が痛くなってきた。こんな時は気分転換、と言わんばかりに外へ出ていった。
瀧本が街でウインドウショッピングを楽しんでいるとどこかで聞いた声がする。
「総ちゃーん。何してるの?」
疲れた顔をした海江がハンドバッグとカメラを抱えて後ろにいた。
「あんた、今仕事中? サボっちゃダメよ〜」
「いいの、いいの。それより、せっかくだからお茶でもどう?」
二人は近くの喫茶店に入るとコーヒーを二つ注文した。
それから何て事のない話をどの位したのだろうか。海江が、「もうそろそろ帰らないと」と、席を立とうとしてカメラをハンドバッグに入れようとしたその時、
「それよ、それだわ。それなんだわ!」
急に大声を出した瀧本に圧倒され、ひっくり返る海江。
「な、何? 何なの、総ちゃん?」
「あんた、ナイスよ。見えてきたわ見えてきたわよ!」
それから、二人は編集部へ向かった。何故瀧本もいるのかというと本人曰く、「そんなの編集部の人間が怪しいからじゃない。だいたいね、ハナっから……」おかまは喋り始めると長いので以下省略。
編集室へ着くと、やはり伊佐治しかいなかった。
「おかえり、大月君、だよ〜」
「ただいま帰りました。新しいモデルを連れてきましたよ」
と、海江が伊佐治にモデルとして紹介する。モデルと言う立場の方が調査する上で怪しまれないと思ったからだ。
「私、瀧本総一郎といいます、宜しくお願いします」
瀧本も乗り気なのか本性を隠して好青年を演じている。
かくして「生卵」編集室に潜り込んだ瀧本。本当に海江のストーカーを捕まえることが出きるのだろうか?
おかま探偵・瀧本総一郎の明日はどっちだ。