其の五 総ちゃん五速


 翌朝、皆が出社。しかし、一人足りない。


 「編集長来ないねー、遅刻かな」海江が呟く。


 「そうか? もしかすると蒸発した、とか」


 崎田が冗談交じりに答えた。


 それから一時間後、偶然それは発覚した。


 「うーん、ないなあ…。菱田君、特集用の資料、そっちにない?」


 海江が菱田に尋ねる。他意はない。しかし、菱田はひきつった表情で自分の机の上を探し始めた。


 ガサガサガサ


 菱田は無言で首を横に振る。そして、立ち上がり、隣の部屋の倉庫へと向かった。


 「ああ、倉庫か。あそこにあったかもしれない」


 海江も後を追って倉庫に向かう。


 倉庫に着いてみると、菱田が腰を抜かし、座りこんでいた。


 「へ…へ…編集長…死んでる…」


 今まで全く開かなかった菱田の口から言葉が出るくらい、大変なことである。――編集長伊佐治が死んだ。しかも、社内の倉庫の中で。初めて死体を目の当たりにする海江は慌てふためくしかなかった。


 「総ちゃん? 総ちゃん! ちょっと来て、大変大変!!」


 暫くして瀧本も倉庫に現われた。


 「何なのよ…何ですか? 一体……こ、これは」


 一目見て状況を察知する。


 「…さっさと警察呼ぶのよ! いや、呼びなさい!」


 


 ―ほう、何処にいったのかと思えば、あんな所にあったのか。見つかる時は案外あっさりしているものだな。


 あの時もそうだった。意外にあっさりと倒れちまったんだよな、あいつは。…俺は確か、向こうを向いていたあいつの背中に勢いよくぶち込んだ。しっかり狙いを定めて。


 すぐには死には至らなかったはずだ。苦しんで、俺を恨み、己に後悔しながら死んでいったことだろう。


 あいつにはそれがお似合いだったのさ――



 警察がなかなか来ない。渋滞で足を止められているのか、はたまた、会社に似つかわしくないこの建物を認知できないのか。


 「いじらなきゃ、いいわよね」


 今の倉庫には好奇心を抱いてしまった瀧本と海江しかいない。他の者は編集室の方で次号どうするか討論している。ある者は怯えながら、またある者は今後の自分のことを踏まえながら…。だが、共通するものが彼等にはある。「死」というものを完全に受け止めきれていない、という事である。


 「そうよ、こんな事件久しぶりだもの。探偵やってても普通お目にかかれないのよ、こういうのは」


 「総ちゃん、殺人事件関わったことあるの?」


 「まあね」


 実際、瀧本の行動は的確であった。先ずは心肺機能の…いや死亡確認。他の者を現場から立ち退かせる。そして、別の場所に証言を集めるために残ってもらう。その後は…全く必要ないことを、今瀧本は始めようとしている。


 「この部屋に鍵はないのね?」


 「うん、ないよ。でも、ガラス窓にはあるけどね」


 そう聞いて、ガラス窓を調べる。…鍵が締まっている。ということはこの部屋のドアを開くしか外からの出入りの方法はない、ということになる。


 「この窓は使えない…と」


 なにやらメモに書き残す。瀧本の調査メモだ。


 「お次は、遺体の方ね。死因は…」


 仰向けになった死体をじっと観察する。その遺体は目を閉じて、大の字になっている。


 ―襲われたのに、こんな穏やかな表情で死ねるのかしら―


 「わからないわね…謎が多そうよ、この事件」



 午前十一時。警察が伊佐治書店に到着。


 「…またあなたですか…瀧本さん」


 「まあ、そう言うことになるわねぇ、謙ちゃん」


 「謙ちゃんはやめて下さい」


 謙ちゃん、と呼ばれた警察官は明らかにイヤそうな表情を浮かべた。


 「ええ、みなさんにガイシャ…被害者のお話を聞かせていただきたいのですが…ええと、まずそちらの方から」


 訊き込み調査が始まった―。

 



 「殺される原因は…この生卵にしか考えられないわ」


 「どうしてなの、総ちゃん?」


 「こんな小さな会社で強盗殺人なんて起こると思う? 少なくとも、アタシならもっと大きい会社を狙うわね。それから、編集長…伊佐治殺害を狙った犯行とすると、やっぱり保険金かしら…」


 「それはないよ。編集長は家族はいても、まともな資産なんかないはずだもの。だって、あんなヘンなおじいちゃんが、普通の人みたいに保険かける? 遺産を残すと思う?」


 「それもそうねぇ…」


 「…あの、すいません…捜査は警察の仕事なんですけどね…」


 『謙ちゃん』が二人に割って入った。


 「瀧本さん、死因が特定できました」

 



 死因は背後から、尖状の凶器を刺され、肺に穴が開いたことによる呼吸停止、とのことであった。


 被害者のの推定死亡時刻は午後十一時。この時間には各人アリバイがあった。ならば、外部の人間の犯行…となりそうなものであるが、瀧本はそう考えてはいない。


 「謙ちゃん、肺の空洞…穴はどれくらいの大きさだったのよ?」


 「…。四oです」


 「となると凶器は三〜五oの針状の物、となるわねぇ。アイスピックみたいなもので刺したのかしら?」


 「布団針みたいなものかもよ。太くて長いものなら」


 「検死官の報告だと、肺を貫いてちょっとの所で止まっています。体に入った部分だけだと十五pですね」


 「あまり出血していない所を見ると、相当鋭い物だったようね」


 伊佐治の体は肉厚だった。その体に深々と突き刺し、肋骨をよけ、肺に穴を開けるほどの凶器…それがどういう物体なのか今の瀧本には皆目見当がつかなかった。そして、それが何処にあるのかも。



 ――しかし、どうしてあいつが倉庫にいたんだ? 誰かが運んだのか? 何の為にそんなことを?


 そして、あれが見つからない。


 伊佐治にあれを刺した後、抜くことが出来なかった…。その時体中に何かが駆け巡った。俺はそれで怖くなって、編集室から逃げ出したんだ。


 結局、今朝誰よりも早く来てあれを始末するつもりだった。完璧な段取りを組んだんだ。怖くなったこと以外ミスなどなかったはずだ…。それがどうして?

 


 ―彼は確実に焦り始めていた――


 


 尋問を終え『謙ちゃん』ら警察官を残し、メンバーは立ち退きを余儀なくされてしまった。


 結果、道端で呆然とビルを眺めるメンバー達。


 「…ホントに編集長、死んじゃったんっすね…」


 トムがぼそっと呟いた。


 「そうだよね…。人の死ってあっけないものなのかもね」


 「…あっけない、か…」海江と崎田も同じように呟く。


 「でも、本当に我々はこれからどうなってしまうんでしょうか?」


 深刻そうに菱田が言った。その通りである。


 「あれっ? 総ちゃん、どこ?」

 



 その頃、編集室では証拠物品の押収が始まっていた。


 まずは被害者の伊佐治の机。机上の物品を手当たり次第調べられていく。次いで、捜査員が引出しに手をかけようとしたその時、その手の甲にもう一つの手が重なった。


 「ここから先は、アタシと一緒に…ネ?」


 ウインクする瀧本を見て『謙ちゃん』は、もういいよ「かま探」は…、と口にしかけたが止めた。

其の六

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