「ええ、今回みなさんに集まってもらったのは他でもありません、今回の事件が――」
「瀧本さん、その喋り方じゃなくてイイっすよ。もうバレてますから。かま、ってこと。探偵さんってこと」
トムが堂々と瀧本にそう言った。途中からおかまであることはばれていたらしい…。そして、事件後のあの的確な指示。只者ではないことはすぐにわかることだ。結局海江が正体をバラしてしまった、というのもあるのだが。
「まぁ、いいわ。…今回の殺人事件の概要を説明するわね」
地平線に沈む夕日を背に、瀧本が伊佐治の机の前に立って説明を始めた。
「まず、断っておきたいのが、どこで殺されたのか? ということ。殺害現場は倉庫じゃないのよ」
メンバーがどよめく。
「何らかの目的を持って、犯人はここの窓際に立っていた伊佐治を針状の凶器にて刺した。その後逃走。でも行方はわかっていないわ…」
トムが口を挟む。
「なんで倉庫じゃないんですか? 確かにあそこで編集長は死んでいたはずっすよ」
それに対して、瀧本は壁にある大きなシミを指した。
「ここのシミにね、小さな血痕がついていたのよ」
「そんなところに? 出血はひどくなかったんでしょ?」
「ええ、ひどくはなかったわ。でもね。これは被害者が無意識に付けたものなのよ」
「無意識? 無意識にどうやってつけるんです?」
崎田が質問した。
「人はね、傷ついた部分をね、そこがどうなっているか確かめようとするものなのよ。伊佐治の場合、背中だったから手で触る以外なかった。この場所の床の状態からみて、間違いなく伊佐治は刺された後、ここに倒れこんだ。うつ伏せにね。そして背中の傷を触って状態を確認後、近くにあった壁で体を支えて立ち上がろうと――」
「…立ち上がる必要があったんですか? 死の直前で」
菱田が突っ込む。しかし、動じる瀧本ではない。
「まぁ、それは後で説明するわ。これはあくまでここで刺された、っていうことの証拠ね。そして次よ」
「ここからは私が説明しましょう」『謙ちゃん』が説明を始めた。
「死亡推定時刻は午後十一時です。しかし、ここで刺されたのは午後九時三十分頃、と鑑識からの報告があったんです」
皆が顔を見合わせる。え?どういうこと?と。
「つまり、伊佐治は刺された後、すぐに死んだわけではない。ということなのよ。それはね――」
「抜けなかった…そういうことですね」菱田が言った。
「大当たり。犯人は伊佐治に凶器を刺した後、抜いて逃げようとしたが出来なかった。それは、この一時間三十分のタイムラグが物語っているわ」
「え? どういうことなの、総ちゃん」
「アンタねー、それぐらい分かりなさいよ。…肺に穴が開くと、死んでしまう。でも、刺したままなら穴は塞がっているのと同じこと、ってことよ。…でもね、それは苦しいことだろうし、おまけに抜かないのは死の先延ばしみたいなものなのよ」
「つまり、編集長は一時間半もの間、抜きたくても抜けない凶器が背中に刺さっていた、ってことなの?」
とても痛そうな顔をして海江が訊いた。
「……そうなるわね」
―なんてことだ。あいつは、あいつはそんなに長い間生き長らえていたのか? まあ、いい。さぞかし苦しみを味わっただろう。
…しかし、何故倉庫に向かった? あれはどこへ消えた? 倉庫でどれだけ探してもなかったぞ…。
あいつは一体――
「ここから先はアタシの推理なんだけどね。多分本当はね、伊佐治は自分の仕事場で死にたかったはずなのよ。今まで誇りを持って編集長をやって来たのなら、尚のこと」
メンバーにその言葉は重くのしかかった。
「しかし、伊佐治は仕事場で死にたくなかった。できることなら違う場所で、と考えたんじゃないかしら?」
「それで倉庫に? どうして?」
「…自分自身の失敗作と共に、っていう気持ちがあったとしたら考え過ぎかしら?」
―あいつにそんな考え方ができるはずは無い。そんな、責任、なんて概念、あいつが持っているわけが――
「実際ね、伊佐治の引出しから遺書に近いものが見つかったのよ。…どちらかと言うと、自分に言い聞かせるための決意文かしら? 読むわよ。
『最近の生卵の販売実績は、雀の涙ほどしかない。それはどうしてか? 時代を駆け抜けてきた過去の生卵とどう違うのか?
それは、ファッションとして本誌が扱うものを変えてしまった、という要素が多分に含まれるだろう。実際、今のファッションは、文化として胸を張って言えるような代物では無い、と私は思っている。
だがしかし我々編集部が、いや、私自身が快く思っていないこの現状を読者の皆様に、皆様が望んでいるように伝えることは可能なのか?
否、不可能である。それだけ、時代が荒んでしまったのか…。
それとも私がおかしくなったのか…。
その理由を捜し求るのにも、もう疲れた。これ以上続けることは到底出来ない。
――誠に勝手ではございますが、上記の理由により、今月号で生卵を廃刊とさせて頂きます。長い間、ご愛読ありがとうございました。
生卵編集長 伊佐治成堂』
…記事…だったみたいね…」
誰も、何も口にする事は出来なかった。きっと、皆同じ思いを噛み締めているのであろう。表情がそう語っている。
「さて、倉庫に行きましょうか…」
―そんな、そんなバカな?
あいつが、伊佐治がそこまで思いつめていただと? 原因が自分だと認めていた、だと?
そんなはずは無い…
あいつは無責任で、横暴で、それでいて意気地なしで…そんな、そんなことがあってたまるか!
俺の情熱を踏みにじったのは、あいつなのだ。
許せない。若い頃の俺をここ(伊佐治書店)へ誘ったのはあいつ自身じゃないか!
それを勝手に方向性を変えやがって。俺の気持ちはどうなる?
その報い。報いなのだ。
俺は正しい。間違ってなどいない。――
「ここがね、伊佐治が倒れていたトコロよ」
そう瀧本が人型の白線を指差した。
「きっとね、伊佐治は一時間三十分ぐらいかけて、ここまで来たんでしょうね。そして、ここで息絶えた、…と」
「き、凶器はどこにいったんだ? 凶器は」
崎田が質問する。それに、瀧本が全てを理解したかのような口調で応えた。
「凶器はまだ、この倉庫にある。間違い無く。そして、それが犯人を教えてくれるわ…」
「瀧本さん、どこなんですか? それは――」
『謙ちゃん』がうろたえながらきいた。
実は凶器の在り処など、犯人逮捕に関連する一番肝心な要素は、警察と打ち合わせていなかったのだ。
「それは、ここの中よ!」