其の六 総ちゃんオーバードライブ



 「ええ、今回みなさんに集まってもらったのは他でもありません、今回の事件が――」


 「瀧本さん、その喋り方じゃなくてイイっすよ。もうバレてますから。かま、ってこと。探偵さんってこと」


 トムが堂々と瀧本にそう言った。途中からおかまであることはばれていたらしい…。そして、事件後のあの的確な指示。只者ではないことはすぐにわかることだ。結局海江が正体をバラしてしまった、というのもあるのだが。


 「まぁ、いいわ。…今回の殺人事件の概要を説明するわね」


 地平線に沈む夕日を背に、瀧本が伊佐治の机の前に立って説明を始めた。


 「まず、断っておきたいのが、どこで殺されたのか? ということ。殺害現場は倉庫じゃないのよ」


 メンバーがどよめく。


 「何らかの目的を持って、犯人はここの窓際に立っていた伊佐治を針状の凶器にて刺した。その後逃走。でも行方はわかっていないわ…」

 トムが口を挟む。


 「なんで倉庫じゃないんですか? 確かにあそこで編集長は死んでいたはずっすよ」


 それに対して、瀧本は壁にある大きなシミを指した。


 「ここのシミにね、小さな血痕がついていたのよ」


 「そんなところに? 出血はひどくなかったんでしょ?」


 「ええ、ひどくはなかったわ。でもね。これは被害者が無意識に付けたものなのよ」


 「無意識? 無意識にどうやってつけるんです?」


 崎田が質問した。


 「人はね、傷ついた部分をね、そこがどうなっているか確かめようとするものなのよ。伊佐治の場合、背中だったから手で触る以外なかった。この場所の床の状態からみて、間違いなく伊佐治は刺された後、ここに倒れこんだ。うつ伏せにね。そして背中の傷を触って状態を確認後、近くにあった壁で体を支えて立ち上がろうと――」


 「…立ち上がる必要があったんですか? 死の直前で」


 菱田が突っ込む。しかし、動じる瀧本ではない。


 「まぁ、それは後で説明するわ。これはあくまでここで刺された、っていうことの証拠ね。そして次よ」


 「ここからは私が説明しましょう」『謙ちゃん』が説明を始めた。

 



 「死亡推定時刻は午後十一時です。しかし、ここで刺されたのは午後九時三十分頃、と鑑識からの報告があったんです」


 皆が顔を見合わせる。え?どういうこと?と。


 「つまり、伊佐治は刺された後、すぐに死んだわけではない。ということなのよ。それはね――」


 「抜けなかった…そういうことですね」菱田が言った。


 「大当たり。犯人は伊佐治に凶器を刺した後、抜いて逃げようとしたが出来なかった。それは、この一時間三十分のタイムラグが物語っているわ」


 「え? どういうことなの、総ちゃん」


 「アンタねー、それぐらい分かりなさいよ。…肺に穴が開くと、死んでしまう。でも、刺したままなら穴は塞がっているのと同じこと、ってことよ。…でもね、それは苦しいことだろうし、おまけに抜かないのは死の先延ばしみたいなものなのよ」


 「つまり、編集長は一時間半もの間、抜きたくても抜けない凶器が背中に刺さっていた、ってことなの?」


 とても痛そうな顔をして海江が訊いた。


 「……そうなるわね」

 

 



 ―なんてことだ。あいつは、あいつはそんなに長い間生き長らえていたのか? まあ、いい。さぞかし苦しみを味わっただろう。


 …しかし、何故倉庫に向かった? あれはどこへ消えた? 倉庫でどれだけ探してもなかったぞ…。


 あいつは一体――

 

 



 「ここから先はアタシの推理なんだけどね。多分本当はね、伊佐治は自分の仕事場で死にたかったはずなのよ。今まで誇りを持って編集長をやって来たのなら、尚のこと」


 メンバーにその言葉は重くのしかかった。


 「しかし、伊佐治は仕事場で死にたくなかった。できることなら違う場所で、と考えたんじゃないかしら?」


 「それで倉庫に? どうして?」
 「…自分自身の失敗作と共に、っていう気持ちがあったとしたら考え過ぎかしら?」

 

 



 ―あいつにそんな考え方ができるはずは無い。そんな、責任、なんて概念、あいつが持っているわけが――

 

 



 「実際ね、伊佐治の引出しから遺書に近いものが見つかったのよ。…どちらかと言うと、自分に言い聞かせるための決意文かしら? 読むわよ。



 『最近の生卵の販売実績は、雀の涙ほどしかない。それはどうしてか? 時代を駆け抜けてきた過去の生卵とどう違うのか?


 それは、ファッションとして本誌が扱うものを変えてしまった、という要素が多分に含まれるだろう。実際、今のファッションは、文化として胸を張って言えるような代物では無い、と私は思っている。


 だがしかし我々編集部が、いや、私自身が快く思っていないこの現状を読者の皆様に、皆様が望んでいるように伝えることは可能なのか?

 否、不可能である。それだけ、時代が荒んでしまったのか…。

 それとも私がおかしくなったのか…。

 その理由を捜し求るのにも、もう疲れた。これ以上続けることは到底出来ない。


 ――誠に勝手ではございますが、上記の理由により、今月号で生卵を廃刊とさせて頂きます。長い間、ご愛読ありがとうございました。


                           生卵編集長 伊佐治成堂』


 …記事…だったみたいね…」


 誰も、何も口にする事は出来なかった。きっと、皆同じ思いを噛み締めているのであろう。表情がそう語っている。


 「さて、倉庫に行きましょうか…」


 


 ―そんな、そんなバカな? 

 あいつが、伊佐治がそこまで思いつめていただと? 原因が自分だと認めていた、だと?

 そんなはずは無い…

 あいつは無責任で、横暴で、それでいて意気地なしで…そんな、そんなことがあってたまるか!

 俺の情熱を踏みにじったのは、あいつなのだ。

 許せない。若い頃の俺をここ(伊佐治書店)へ誘ったのはあいつ自身じゃないか!

 それを勝手に方向性を変えやがって。俺の気持ちはどうなる?

 その報い。報いなのだ。

 俺は正しい。間違ってなどいない。――

 



 「ここがね、伊佐治が倒れていたトコロよ」


 そう瀧本が人型の白線を指差した。


 「きっとね、伊佐治は一時間三十分ぐらいかけて、ここまで来たんでしょうね。そして、ここで息絶えた、…と」


 「き、凶器はどこにいったんだ? 凶器は」


 崎田が質問する。それに、瀧本が全てを理解したかのような口調で応えた。


 「凶器はまだ、この倉庫にある。間違い無く。そして、それが犯人を教えてくれるわ…」


 「瀧本さん、どこなんですか? それは――」


 『謙ちゃん』がうろたえながらきいた。


 実は凶器の在り処など、犯人逮捕に関連する一番肝心な要素は、警察と打ち合わせていなかったのだ。


 「それは、ここの中よ!」

其の七

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